ドキュメンタリー・情報番組を中心に

株式会社クリエイティブネクサス

株式会社 クリエイティブ ネクサス

映画・ドラマも手がける映像プロダクション

ドキュメンタリー・情報番組を中心に映画・ドラマも手がけます

  • 太田ディレクター

太田

今回のコラムを担当することになりました入社7年目のディレクター太田(37歳・男・既婚)です。
この業界を目指す若者がこのコラムをよく見ていると聞いたので、今回、私なりのディレクターになる為の極意を皆さんに御紹介したいと思っています。
まずは参考になればと、私の簡単なプロフを書いてみたいと思います。

1970年
香川県、高松市に生まれる。
1979-1986年
ど田舎に引っ越しをしたため、TVの電波が届かずテレビのない生活を7年間送る。
1989年
愛媛県立松山北高等学校の普通科を無事卒業
※受験にドーピング検査が無い事に気づき、3年間その事に全精力を費やす。
1989-1991年
結果、フリーターの道へ!(日雇い鳶職etc)
1991-1996年
単身渡米、コンコーディア大学ビジネス学部を卒業。
※今はなき、ツインタワーで証券マンのタマゴとして勤務。
1996-2000年
帰国後、フリーター(バーテンダー&家庭教師etc)
2000年
クリエイティブネクサス入社
2001年
ディレクターデビューを果たす。

とまぁ、
一貫性のない人生、そしてTV制作とはあまりにもかけ離れた人生を30年間過ごした私が皆さんの参考になるのか、すこし心配ですが…
え? そんな男が何故、TVの世界に入ったかって?

「だって~~、いろいろな仕事を経験したけどさ~
これほどオモロイ仕事、他にないじゃないのwwwwww!
あ~あ!気づいてよかった~~puhahahaha!」

とにもかくにも当時30歳、TV制作未経験だった私がクリエイティブネクサスに入社することを許されたのです。
お恥ずかしい事ですが入社当時はそれはもう、ひどいADでした。

「デジカムの録画ボタン? どこにあんの?」
「ロケ用テープって? ベーカム? なんじゃそれ…」
「15フレ? 「フレ」ってなんスか?」
「音効さん? そんなディレクターいたかな…」

そんな「心の叫び」を誰にも気づかれることなく、AD修行を約1年経験した後、無事ディレクターとしてデビュー。
現在もテレビ制作に携わっています。

いや~今思えば、よく1年でディレクターデビュー出来たなぁ~。

はっきり言って、周りにいた良き先輩たちに助けられここまでこれたのが一番の理由ですが、
AD修行の1年間、ある大先輩に言われた言葉で今も、かたくなに守り続けている「3つの言葉」があります。

これぞ「ディレクターになるための3つの極意」なんです。

3つ言葉のおかげで短期間でディレクターになれ、今もディレクターとして、時にチーフディレクターとして仕事ができていると信じています。
私にとっては「命」の次に大事な財産です。

入社2年目には「4時間ラーメン特番」の演出まで体験させて頂きました。

※ この時期、人間は1週間で5時間の睡眠でも生きていける事を体験。
しかし番組が放送され、視聴者からの感謝の電話を貰ったらそんな苦労などどこへやら。
本当に楽しいですね!この仕事wwwww。

入社3年目には「5時間のラーメン特番」。「2時間温泉特番」。

※ この時期、人間は会社に2か月間も寝泊まりしても生きて行ける事を体感。
しかし…自分の作った番組で、テレビの前で皆さんが笑い、泣き、感動している姿を見ていると本当に「今までの苦労」なんて吹っ飛ぶんだよね~。
これは体験した人にしか分からないよね~www。
途中で苦しいからってギブアップしたら「もったいないお化け」出ちゃうって!!!!

入社4年目には計4本の「2時間特番」に携わる。

※ この時期、初めて撮影する対象が「物」から「人物」に!
その最初の人物こそ「五体不満足」の著者で有名な乙武洋匡さん。
乙武さんにはいろいろな事を教えていただきました。本当に感謝です。

入社5年目にはなんと「結婚」。

※ 日本テレビ「所さんの目がテン!」という番組で
「宅配便はどういう風に届け先に運ばれるのか?」という疑問に、私自ら段ボールの中に入り東京から故郷愛媛県松山市に届くまでを番組で実況。
その時、故郷で15年振りに幼なじみだった我が妻と運命の再会。いや~こっちは段ボールの中に入っていたので恥ずかしかった~~!

あ!ちなみにこの後、新郎である私が、仕事が忙しくて「結納の席」欠席という前代未聞の珍事件を引き起こすも、今は3人の子持ちですwwwwwww。

入社6年目で宇宙飛行士の若田光一さんと一緒に番組制作。

いや~すごい人だった。
日常生活では絶対に出会えない人と一緒に仕事ができる。
コレもこの仕事のいい所www。

そして、入社7年目で初の「ドキュメンタリー番組」に参加させて頂きました。

「翔太へ…最期のメッセージ カンニング中島全記録」

芸人中島としての思い…
父親、中島忠幸としての妻へ、そして一人息子への思い…

本当にこの番組内容でいいのか…
天国にいる中島さんは、うなずいてくれるのだろうか…
ディレクターとして…そして同じ父親として…
悩む日々…
自分のディレクターとしての力不足を痛切に感じた番組でもありました。

とまぁ、
ディレクター家業というのは普通の仕事よりも何倍も忙しく、肉体的にも精神的にも大変な仕事です。実際にディレクターになるのを諦め、途中でやめていく人もいます。

「自分には向いていない。」
「能力がない。」
「仕事についていけない…。」

あ~~ もったいない!!!!!
もったいない!もったいない!!
そんな「言い訳」考えている時間すらもったいない!もったいない!

番組制作での「苦労」なんて…
自分の作った番組が放送されたらさ、自分に帰ってくる「喜び」「感動」「達成感」「充実感」「満足感」は「苦労」なんかよりも何十倍も大きいのさwwww。

放送が終わって…
デスクで「エヘエヘッ~~wwww」ってよだれ垂らして喜んでいるディレクターになりましょう!!!

一緒に「エヘエヘッ」ってデスクで並んで、よだれ垂らす仲になりません?

あ!そうそう、本題は「ディレクターになるための3つの極意」でしたよね。

それは、何かって?

え?ページが残り少ない????

という事で、太田コラム(後編)で!!!

(完)

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