山崎ディレクター
戦後70年
みなさん、こんにちは。入社10年目のディレクター山崎です。
今、NTV「news.every」で「今、私がいる理由(わけ)」という戦後70年企画を担当しています。
出演者は、自らの祖父母を訪ねて『家族の戦争体験』を聞きます。
原爆被害者への風評差別や、他地域での空襲後、余った爆弾を捨てるために空襲された地域(アメリカ軍から「爆弾のゴミ捨て場」と呼ばれていた)の存在、日本政府に切り捨てられた海外在留邦人の引き上げ…など、教科書には載っていない戦争の真実を知ることに加え、加速度的に失われている、貴重な『戦争体験者の声』を、デジタルアーカイブとして遺すという意義もあります。
今回取材した皆さんは、80歳前後の方々でしたが、とにかく元気。しかも、70年経った今でも、当時の記憶が鮮明に残っていることに驚きました。孫とのキャッチボールの思い出は、すっかり忘れていても、戦争の記憶は、まるで昨日のことのように覚えています。裏を返せば、それだけ戦争から強い衝撃を受けた、ということです。
今回は、私が取材した「戦争体験者の声」を通して、私が個人的に感じたことを書きます。
取材させて頂いた皆さんは、もちろん「戦争は繰り返してはいけない」と言います。
今まで私は戦争に対して、漠然としか「ひてい」できず、それを表現する言葉もありませんでした。しかし、取材を重ねるうち、自分の中で明確に「反戦」の意識ができたことは、とても幸運だったと思います。
『自分が作っているのが、人を殺す道具だって分かっていた』
当時16歳で、学徒動員により、機銃の弾丸製造をさせられていた87歳のおばあちゃんの言葉です。
当時は、人道的な感覚よりも、1発でも多くの弾丸を兵隊さんに届けなくては!ということしか、頭にはなかったといいます。また、日本軍の戦闘機が目の前で撃墜され、湖に落ちていく様子を何度も目撃していますが、その度に「また落ちた」としか感じませんでした。
『1機でも敵機を落とさなきゃいけないから、死ぬとか怖いとか、恐怖心はなかった』
『大和に関しては、忘れられない青春だからね』
当時18歳で、戦艦大和の機銃射手として乗艦していた88歳のおじいちゃんの言葉です。
共に、いくつもの死地を脱してきた多くの仲間が、目の前で戦死しました。坊ノ岬沖での沈没から、奇跡的に生還して70年。今でも、4月7日には、手を合わせて冥福を祈っています。
ここでは割愛しましたが、他に取材した方も含めて全員が、戦時中は、戦争を肯定するように「洗脳されていた」と仰います。果たして、皆さんは当時「異常」だったのでしょうか?
取材して感じたのは、当時生きていた人達は、自分が置かれた状況を意外と冷静に受け止めていて、周りの大人も、社会も世論も、それが「普通」だったということです。
個人的には、教育による洗脳だけではなく、社会全体を包む空気感のようなものがあったのだと思います。<戦時中は異常だ>と思うのは、現代が平和だからであって、当時は大多数の人が<疑問を持てなかった>のだと思いました。
先述した、大和の乗組員だったおじいちゃんが、『今まで日本は戦争に負けたことがなかったから、誰も負けるなんて考えられなかったのかな…』と、取材後に話してくれたのが印象的でした。
『お国のために戦って死んだ兄のことを、偉かったとは全然思えない』
当時16歳だったおばあちゃんの言葉です。
実のお兄さんが、東南アジアの戦地で餓死したと聞かされました。未だに遺骨は戻ってきていません。戦後70年経ち、自分の子供や孫が、兄が戦死した年齢になった姿を見る度に、<人生の楽しい思い出>を何も経験できなかった兄を偲んでいます。
歴史を振り返ると、近代戦争のほとんど全てが「自衛のため」を大義名分にして、侵略行為や報復攻撃を繰り返しています。今、一番大事なのは、「戦争を始めないこと」。もし一度でも戦争を始めてしまったら、自分たちでは止められないという歴史的事実。そして、自分たちに残るのは、大切な人や、肉親の理不尽な死だけ。そんなことを、今回の取材を通して強く感じました。日本の戦後復興は奇跡だと言われていますが、経済的な発展よりも、戦後を乗り越えてくれた方々の存在こそが、奇跡だと思います。
また、ある作家さんは、こうも言っていました。
『本を読んだり、国家同士の政治的な関係から知識をつけると、戦争は必要かもしれない、やらなきゃいけないと思うことがある。それではダメで、平和感は、身近な人から戦争体験を聞くことで作られると思う』
戦争の悲惨さを追体験することは、平和への意識を芽吹かせます。自分のルーツである祖父母や家族の経験は、今まで聞いたことない人がほとんどだと思いますが、是非一度機会があれば、戦争体験を聞いてみて下さい。
長々と書きましたが、少しでも今の日本の現状に違和感を覚えてくれる人が増えれば、という気概で日々精進しております。思考停止している政治家の皆さんに、無理やり国際情勢に合わせず、独自に平和を守る道を模索してほしいなぁと思いつつ、最後に、一緒に取材した14歳若手イケメン俳優の言葉で締めたいと思います。
『戦後70年の、70という数字が、もっともっと増えればいいなと思います』
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