小林ディレクター
映画「くも漫。」監督 小林稔昌の自己紹介
はじめまして。入社11年目、ディレクターの小林稔昌と申します。去年4月。10年間、真面目に働き続けたことで会社からご祝儀を頂きました。
小林稔昌と映画「くも漫」のくもマン そんな私が演出をさせて頂いた作品があります。
映画『くも漫。』
“29歳、教師の仕事に挫折した半ニートの男。中川学が大晦日に、風俗店で、No.1風俗嬢に、最高のサービスを受け、絶頂を迎えるその瞬間、くも膜下出血を発症する”という内容。実話です。
内容はさておき、入社当時の私は自分が映画の監督を務めるなんて、露ほども思っていませんでした。最初の仕事は、「目がテン」のロゴが入った黄色のパーカーを着て、アンパンの上に降りかかっている粒(ケシの実)をピンセットで黙々と数えることでした。何時間とやったことでしょう。現在、3歳の次男が見る「アンパンマン」を目にすることがありますが、AD時代を思い出してしまう私は、どうしてもヤツを好きになれません。
その後、「ゆとり!」「ヘタレ!」と言われながら、何とか今までやってきて、ようやく監督という地位まで登りつめました。エッヘン!!
でも私が経験した監督業は、思い描いていた”エライ人”とはちょっと違ったようです。現場でプロデューサーに蹴られるわ、セットで使った雪を自ら片付けるわ、「何やってだろう、俺…。」と思うようなことばかり。
しかし……、蹴られた先に、「良い演出だったよなぁ。」とか、雪かきの後に「ステキな画撮れましたよねぇ。」なんて言われると、心がほっこりして、次に向かうことができるんです。
あ、後、怒りも大事な要素ですよね。テレビディレクターたるもの、先輩に厳しく叱られながら番組作りを叩き込まれます。怒られて落ち込んでは、諸先輩にこんなことを言われました。「オレはADの頃、いつかこいつを殺してやる超えてやると思ってたよ。」と…。
「そうだよなぁ。」と思いました。実は私も先輩から話を聞きながら、「その先輩をいつか殺してやる超えてやる。」と思っていたからです。でも、これが悔しいことに、自分が成長していくにつれて、自分が怒られたのと同じ事を、ADにくどくど言っていることに気がつくのです。諸先輩方が言っていたことが糧になっていたということが分かっていきます。だからテレビの現場は殺伐とすることは多いですが、殺人事件は起きないんですね。
やらなきゃいけないことをやってきたと思います。地に足つけて、身の丈にあったことを。でも、いつも目一杯背伸びして、時には色んな人の力を借りてジャンプして、ベストの到達点を目指すから、テレビも映画も作るのは、楽じゃないんですよね。本当に疲れます。面倒くせぇ。三度寝してずっと家にいてぇ!あ~逃げたい。生まれ変わったら貝になりたい。なんて思っているのですが…、「面白い!」という言葉を求めて、頑張れるから不思議なものです。
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