實川ディレクター
信頼とズレ
これまでのキャリア
ディレクターデビューの番組:にっぽん百名山SPのコーナーVTR
ディレクターとして担当した主な番組:超人たちのパラリンピック、ザ・ディレクソン、英雄たちの選択、完全なる問題作など
最近釣りに目覚めました。
就活生へのメッセージ
2年前、組織に属することの意味を「信頼」という言葉で書きました。ある組織に属するということは、その組織が培ってきた歴史を借りるということです。個人であれば無名の人間も、こういう番組を作ってきた会社だから大丈夫だろうという「信頼」のもと仕事をすることができる。ちなみに、組織という単位は会社に限らず、テレビという業界全体にもなり得るし、映画や動画もひっくるめた映像業界に広がることもあるでしょうし、遠い未来に宇宙人と交流するときには地球人クリエーターだから大丈夫/だめだろうと言われることになるでしょう。
そして、歴史を借りることは同時にその一部になることでもある。培ってきた「信頼」を裏切らないようにしたいという趣旨も書きました。テレビというメディアが培ってきた「信頼」をぎりぎり消さないように頑張りたいなーという感じで。
(ご興味があれば、読んでみてください。ここに書いたことはその当時の偽らざる気持ちで、今もそれはそうだと思っています 「銀行員からテレビマンへ」)
ところで、2年後の現在、「信頼」なんてどこにあったんだっけ?と思っています。より広い映像業界全体にはあるかもしれない。でもそれより下のレイヤーへの「信頼」って何?という感じです。
ここで考えたいのは、なぜたったの2年で私の中の「信頼」が180度変わってしまったのかということ。外形的には180度の転向に見えますが、何も価値観を揺さぶる何かがこの2年であったわけではない。つまり、内面的には一方の端から真逆の端への極端な移動ではない。より正確に表現しようとするなら、知識としては知っていたが、実感としては追いついていなかった、ということに近いかもしれません。わずかなズレが大きな差となって現れる。なぜこのズレが起きてしまうのか、ということについて考えたい。それは今から就職しようとするみなさんにとっても、決して無意味なことではないと思っています。
結論から言うなら、「信頼」とは類推であり、真実ではないということです。どういうことか。ここで鍵になるのが、冒頭に書いた“歴史”という言葉です。「信頼」は会社や業界がこれまで作り出してきた業績の連なりが生み出すものであり、紛れもなく過去に属しています。それを表す言葉として“歴史”を(無意識に)選びました。人はこの歴史から類推して未来を思い描く。あたかも株価が上昇を続けているから今後も上がるだろうという類推のもとで株を買うように。けれども、株は暴落する可能性を常にはらんでいるし、下落局面にあるのにすぐ上がるよと手放せないでいる人は大勢いる。あるいは、軽々に出していい例ではありませんが、緒戦の勝利や過去の栄光に引きずられて、泥沼化する戦争。経験は引き際や判断を往々にして誤らせる。「信頼」は類推です。真実ではないし、相対的なものでしかない。私から見る「信頼」が、他の人からすればもう終わっている世界だったのかもしれません。もちろん、過去を実体験として知っている分、類推は精緻になるという側面もあるでしょう。ただ、過去を元にする以上、わずかにズレてしまうこともあるのです。そしてそのズレは思いの外大きいものになってしまう。
就職は大きな判断です。自らの類推は本当に正しいのか考えるのも重要だと思います。でも、未来のことって本当に分からないので、また2年後には前みたいに希望を持っているかもしれません。それに、面白い番組は昔も今もたくさんありますし、それを頑張れば作ることができる環境でもあります。ある尊敬するディレクターがいいものを作るためには「物量」しかないと言っていました。いいものを見て学ぶという物量、作業し続けるという物量。それは業界の浮き沈みに関わらず活かせることだと思います。ともかく、業界に関わらず人生は続くので、ちゃんと考えて頑張るのが大事ですよね。
『完全なる問題作』を制作して
という文書を提出したところ、もう少し具体例が欲しいとのことだったので、この「物量」についての具体をあげます。去年、「完全なる問題作」という番組を作りました。「世の中の問題作と呼ばれる作品の真相に迫る」という趣旨の番組で、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を取り上げました。取材関係の裏話的なものは、文藝春秋に書かせてもらったのでご興味があれば読んでみてください。
文藝春秋サイト「サリンジャーの戦争」
ここでは先程言った通り、「物量」について書きます。この番組は運良く自分の出した企画が通って作ることができた、いわゆるゼロから作る番組でした。ある事情で制作期間が3ヶ月と定められました。番組の尺や内容にもよりますが、一般的にレギュラー番組をローテーションで作る場合、3ヶ月スパン(2ヶ月で作る場合も。その場合、結構きついです)であることが多いです。でもそれは番組の演出や方向性が決まっていて(スタジオなのかオールVTRなのか、スタジオなら誰がMCなのか、バラエティチックなのか、社会派なのかなどなど)、チームも慣れているという場合です。ゼロから番組を3ヶ月で作るというのは、短いほうだと思います。ここで、いいものを作るためには「物量」という話が出てきます。定められた3ヶ月に固執して、その期間だけで作っても何もかも時間が足らなくなるだろう。そこで、私は他の番組を制作しながらこの番組の準備を進めました。まず準備とは、ともかく本を読むこと。サリンジャー関係の本を出ているものは文字通り、片っ端から読みます。そうすることで初めて、立体的に対象(サリンジャー)のことが分かるようになるし、構成が作れるようになる。一冊だけ読んで番組を作ったところで、それはその本の焼き直しになってしまう。もちろんサリンジャー著の小説も全部読みます。というわけで今回の場合、本を読むだけで一ヶ月くらいはかかるわけです。
また、番組予算が無限にあるわけでもありません。特に円安が進行している中での海外ロケだったため、どこかを削らなければなりません。様々な工夫をしたのですが、一例をあげれば、美術は全部自分で作るということ。よく番組には美術担当者がいて、その方にスタジオの背景や小道具などを作ってもらうのですが、それを自分たちで作る。今回「問題作」がテーマだったので、番組のキーイメージとして問題作を飾る「ギャラリー」を考えました。ギャラリーのセットを一から組んだのではお金がかかるから、都内の貸しギャラリーを探してロケハンしまくる。ロケハンを人に任せてしまう人もいるのですが、ディレクターがこなすべき物量の一つだと思います。場所に本当に行くと新たな演出を思いついたり、想像が膨らみます。
という感じで延々と書けてしまうのですが(まだロケ前の段階。ロケも編集も仕上げでも色々あります)、削った上でなお面白くするには何をすればいいかを徹底的に考えること。自分でこなせることは自分でやること。こういった物量を積み上げていくこと。それらがとても重要だと思います。結果的にどれだけ面白くなったのかはさておき、こういう積み重ねだけが面白い番組につながると思います。
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