實川ディレクター
銀行員からテレビマンへ
なぜテレビの仕事を始めたのか、誰が向いているのか
いろんなことを知ること、知らない人に出会うことができるからです。言ってしまえばただの好奇心ですが、赤の他人からの無遠慮なそれは本当は迷惑以外の何物でもありません。テレビというメディアがこれまで培った「信頼」のようなものがあるから(今や急速に消えかかっているかもしれませんが)、なんとか取材相手は受け入れてくれます。
その「信頼」を消耗させてしまわないよう、相手に敬意を払って、謙虚に、でも同時に自らが楽しむことを忘れないように取材する。そうすると「信頼」は自分のものとして大きくすることができます。なかなか難しいですが、それができたときにはああ、よかったなとほっとします。そして次の番組に向かうことができます。
あらゆる仕事は個人的な欲望を社会と上手くつなぐという側面を持っています。私のように知りたいでもいいですし、表現したいでも、面白くなりたいでも、いろんな欲望を受け止める懐の深さがテレビにはあると思います。「信頼」を借りて、大きくして返す、その中で自分の望みも満たす、そうやって働ける場所だと思います。
テレビの仕事やっていてどう?
好奇心に駆られて取材をするのですが、ときに予想もしていなかった出来事、他者と出会い、自分が揺さぶられます。成長という言葉では片付かない経験です。
「勉強の哲学」という人文書としては異例のベストセラーとなった本がありますが、ここには勉強とは自分を破壊する経験だと書かれています。この勉強と取材で出会うことは基本的には同じだと思います。
自分とは全く違う価値観の体系に出会うこと、その只中に入ること。学生の間はあんまり勉強したくないものですが、社会人になるとすごく勉強したくなります。この仕事は勉強し続けられる場所なので、とても楽しいです。
番組作りの面白さ
私が担当していた「超人たちのパラリンピック」は、タイトルそのままにパラリンピアンの障害ゆえに、しかし、にもかかわらず花開いた超人的な能力を最新の科学実験と選手の日常に密着することで解き明かす番組です。それらは並外れた日々の鍛錬によって培われるのですが、ロケをする中で最も揺さぶられるのは、往々にしてそれよりもアスリートたちの日常にあります。
ウクライナのフェンシング選手を取材したときは、信仰が日常から切り離されることなくある生き方に、トリニダード・トバゴの投擲の選手を訪れたときは島国の英雄として自分を律し続ける姿に、自分を揺さぶられました。超人的な能力を解き明かすという番組のテーマからは外れる事柄ですが、そうした要素が番組に盛り込まれることで、むしろ番組の面白さは増します。自分が揺さぶられるだけでなく、番組を揺さぶりながら成立させること。これも面白さの一つです。
これまでのキャリア
- AD時代の番組
- にっぽん百名山、勝利へのセオリーなど
- ディレクターデビューの番組
- にっぽん百名山SPのコーナーVTR
- ディレクターとして担当した主な番組
- 超人たちのパラリンピック、ザ・ディレクソン、パラ×ドキッ!など
先輩からの就職活動アドバイス
就活というと人生の一大事で失敗できないと思いがちですが、そんなことありません。というか、何が失敗かも分かりません。希望のところに入れても何か違うなと思ったり、たまたま受かったところがぴったりだったり、何か違うなと思いながらも続けていたらしっくり来るようになったり、思い切って転職したら運気が上がって宝くじにあたってモテまくったりするかもしれません。(私自身も銀行員から転職しました。そんな漫画みたいなことは続出してませんが、これから起きるかもしれません。)
コロナ禍という未曾有の状況下での就活に不安に感じられることも多いと思います。ですが、誤解を恐れずに言えば、就活はほんの小さな通過点なのだと思います。人生は長いのでぜひ気負わず、無理せず、頑張ってください。
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